教える・教わる Give & Take ~JB日記~

ARM’S ぶろぐ

どうも渡辺です

前回、伝え教えることにはエネルギーが必要で難しいことを嘆き…間違えました綴りましたが今回は、教わる側について少し物思いにふけってみようと思います。

伝えたり教えたりする側は、相手の立場を少なからず考えるものだと思います。言葉や言い回しひとつとってみても、分かりやすく上手く伝わるよう相手目線に立ったりしてみるのに対し、聞いたり教わる側って果たして相手のことを考えたりするものなのかとふと思ったりしてしまいます。

癖のように何でもすぐに聞いたり同じことを何度も聞いたりする人もそうですが、講義や座学のように始めから教わることが分かっているとしても、教える側、相手側のことまでは想像したり考えたりなどしていないよなぁと思います。

教える側ってけっこう真剣で、聞かれたこと教えること自体はもとより相手のことも考えて、キチンとギブしようとしていると思います・・・ある意味本気と書いてマジですね。対して教わる側はそれほど本気まじなのか…?
ギブ&テイクではありませんが、聞いたり教わったりすることはイコール伝えたり教えたりする相手側の時間をもテイクしているということを忘れがちかもしれません。聞いたり教わったりする側は、伝え教えられること+相手の時間もGIVEされているんですよね。

TKやMJはそのあたりを十分わかっているようで、私ごときが教えられるようなちっぽけなものであっても、また、私がベタなおやじギャグを交えて教えたとしても感謝と敬意を示してもらえています。
私に対してはさておいたとしても、他のアームススタッフも同じ想いなはずだと思います…多分、おそらく、きっと、願わくば・・・そう信じたい💦

伝え・教える側と聞く・教わる側の熱量は同じがいいなぁと思います。教わったことを誰かにGIVEすることができるくらいなら、教わる甲斐も教える甲斐もある気がします。なんとなくだったり思いつきで聞いたとしても、ついでのように教えを乞うとしても相手から時間プラスαをTAKEしていることに変わりはありません。相手のことを想像したり考えたりはしなくても本気で聞くマジで教わる気持ちが大事なんじゃないかと思います。

 

春になりアームスの子どもたちも進級・進学して学校で聞いたり教わったり(TAKE)することがどんどん増えてくることと思います。アームス放デイでもサービス目標である「可愛がられる人に育てる」ためにたくさんの愛情を支援というカタチを通して注いで(GIVE)います。
将来子どもたちが多くの人に幸せを分け与えられる(GIVEできる)人となれるようにたくさんのものを本気まじに吸収(TAKE)してくれるといいなぁと思う今日この頃です。

 

知るは喜び、調べるは楽しみ
わかるは感動、学は一生
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