カートを戻す人
こんにちは、徳丸です。
先日、スーパーで買い物を終えたあとに
駐車場に残されたカートを見かけました。
きちんと所定の場所に戻されているもの。
車止めに寄りかかっているもの。
ぽつんと置き去りになっているもの。
たかがカート。
でも私は時々、
そこに “その人の見ている世界” が出る気がするのです。
カートを戻しても、
褒められるわけじゃない。
得をするわけでもない。
戻さなくても、
大抵は怒られません。
でも、
その小さな行動の中に、
「次に使う人」への想像力があるかどうか。
そんなものが、ふっと見える気がします。
例えば――
トイレットペーパーが残り少ない時。
新しい物をそっと横に置いてくれる人がいます。
あれを見ると、
「あ、この人は次の人を想像してるんだな」
と少し嬉しくなる。
逆に、
芯だけが堂々と残されていると、
“任務完了しました”
みたいで、
ちょっと笑ってしまう時もある。
あと、
スリッパの向き。
脱いだままバラバラでも、
別に誰かに怒られるわけじゃない。
でも、
次の人が履きやすい向きに、
ちょこんと揃えてあると、
なんだかその場の空気まで整って見える。
誰も見ていない。
褒められもしない。
だけど、
そういう小さなことを雑にしない人って、
いるんですよね。
それは、
外側のルールを守っているというより、
「自分の中の秩序」を守っている感じ。
人目があるから守る。
怒られるからやる。
ではなく、
“自分はそうありたいから”
という感覚。
私は最近、
この「小さなことの積み重ね」って、
案外その人の生き方そのものなんじゃないかと思うのです。
そして不思議なことに、
これは介護の仕事にも少し似ています。
ヘルパーは、
利用者さんの家にいる時間より、
いない時間の方が圧倒的に長い。
だからこそ、
この位置なら次も取りやすいかな。
次の水分まで足りるかな。
この体勢、後で痛くならないかな。
不安な気持ち残っていないかな。
そんなふうに、
“その後の時間” を想像できる支援は、
どこかあたたかい。
誰にも気づかれないかもしれない。
記録には残らないかもしれない。
でも、
そういう小さな配慮の積み重ねが、
人を安心させているのだと思います。
カートを戻すことも。
スリッパを揃えることも。
介護の支援も。
結局は、
「次の人を想像できるか」
なのかもしれません。

