こんにちは徳丸です。
介護の仕事をしていると、
私たちは知らず知らずのうちに、
「この人のことは分かっている」と
思ってしまうことがあります。
認知症だから。
障害があるから。
昔から気難しい性格だから。
何度も同じことを繰り返しているから。
もちろん、それまでの経験や知識は大切です。
でも時々、「本当にそうかな?」と
立ち止まってみることも大切だと思うんです。
実は私たちは、
自分が理解できないことに出会うと、不安になります。
なぜ怒っているのだろう。
なぜ嫌がるのだろう。
どうして何度説明しても伝わらないのだろう。
すると、その不安を少しでも落ち着かせるために、
つい答えを急いでしまいます。
「認知症だから」
「障害特性だから」
「この人はこういう性格だから」
そう考えることで、
一旦は納得できます。
でも、その答えは
本当にその人の答えなのでしょうか。
もしかしたら、それは「その人を理解した」
というよりも、
「私たち自身が安心したかっただけ」
なのかもしれませんね。
そう考えると、「分かったつもり」は
少し怖いものにも思えてきます。
その瞬間に、私たちの想像が止まり、
その人の気持ちを探ろうとする扉が
閉じてしまうのではないでしょうか。
もしかしたら痛いところがあるのかもしれない。
不安な気持ちがあるのかもしれない。
うまく言葉にできないだけなのかもしれない。
昔の嫌な記憶がよみがえっているのかもしれません。
例えば、
お風呂を嫌がる方がいたとします。
「今日は入りたくない日なんだな」で
終わることもできます。
でも少しだけ想像してみます……
寒いのかな。
疲れているのかな。
裸になることが恥ずかしいのかな。
お風呂そのものが何をする
場所なのか分からなくなっているのかな。
正解を見つけることが目的では無く、
大切なのは、
「きっと、この人にはこの人なりの理由があるんだろうな」
と考え続けることなのだと思います。
介護の仕事は、
すぐに答えが見つかる仕事ではないと思う。
昨日は笑顔で入浴できた方が、
今日は頑なに拒否されることもあります。
昨日まで好きだった食べ物を、
今日は一口も召し上がらないこともあります。
人の気持ちは毎日揺れ動きます。
それは認知症があっても、
障害があっても、
私たち自身も同じです。
認知症について学ぶことも大切です。
障害特性を知ることも必要です。
でも、人は診断名だけで
線を引いてしまってはいけないように思います。
好きな食べ物があったり、
譲れないこだわりがあったり、
大事にしてきた思い出があったり、
誰にも言えない寂しさを抱えていたり。
そんなたくさんのものを抱えながら、
今日を生きています。
介護は、病気を見る仕事ではなく、
障害を見る仕事でもなく、
目の前にいる
「その人」を見つめる仕事なのかもしれません。
そして、誰かを完璧に理解することは、
きっとできません。
だからこそ、
「分かった人」になるのではなく、
「分かろうとし続ける人」でありたい。
そんな気持ちで利用者さんと向き合えたら、
もう少し温かく、
安心できるものになるのかもしれない……
と考えています。

