どうも渡辺です
今回は、アームスのサービススローガンである「寄り添い・支え合い・紡ぎ合い」の寄り添いについて少し物思いに耽ってみたいと思います。
今までのブログでも幾度となく綴ってきましたが、わたくし寡黙で人見知りを自負していますので、この寄り添うということには難しさを感じています。
コロナ禍にあった頃、相手と一定の距離をとるソーシャルディスタンスという言葉が叫ばれていましたが、私が難しいと感じているのは人との身体的な距離のことではありません。(私たちのお仕事はソーシャルディスタンスの難しさもありはしますが💦)
日本ではすっかり定着していますが、ソーシャルディスタンスとは本来「社会的距離」のことを指す言葉のようで、感染予防の観点で用いるのはフィジカルディスタンス(物理的・身体的距離)、またはフィジカルディスタンシング、ソーシャルディスタンシングという言葉が世界的には一般のようであります。
フィジカルディスタンスで寄り添うを考えてしまうと距離が狭い密着しているイメージが浮かび、自分のオッサン面が誰かの顔にくっついていることを想像してしまいキモいどころの騒ぎではありません。
社会的距離とはパーソナルスペース(対人距離)という概念の中に位置づけられていて、人には他人に侵入されると不快に感じる空間がありその空間は4つのグレードに分類されるというもので、その中に社会的距離というものがあります。私が難しいと感じている寄り添うはどちらかというとこのパーソナルスペースが関わってくるような、心情的というか心の歩み寄りのようなものを指します。
ちなみにパーソナルスペースの4つのグレードとは
個体距離:相手の表情が読み取れる空間(友人など親しい間柄)45 ~ 120 cm
社会距離:相手に手は届きづらいが容易に会話ができる空間 1.2 ~ 3.5 m
(同僚や上司、取引先などと接するときにとられる社会的に接点のある人との距離)
公共距離:複数の相手が見渡せる空間 3.5 m以上
(講演会や演説など公式の場でとられる面識のない他人との距離)
とされています。
難しを感じつつも最近思うのが、寄り添うための一歩として「傾聴」があるのではと思っています。利用者さんをはじめそのご家族や保護者さんとの何気ない会話やただひたすらの傾聴の中でも、感心したり、ためになるなぁと思ったり、教えられたり、共感することが多々あります。
傾聴を積み重ねていくうちに、距離が縮まり安心感も得られ、サービス(仕事)もしやすくなってくるように感じています。
我が家ではコロナ禍を過ぎた今も公共距離をとられがちですが、利用者さんはもとよりご家族や保護者さんとは個体距離なくらい心が寄り添えたらいいなと思う今日この頃です。
それでじゅうぶんです
マザー・テレサ